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2009年11月11日 (水)

纏向遺跡と邪馬台国畿内説

纏向遺跡から大きな建造物の遺跡が発掘されたとか。
新聞記事は邪馬台国の宮殿跡かのような書きっぷりではあるけれど、解説を読むと邪馬台国九州説の人たちは3世紀ではなく4世紀の遺構と見ているようだ。それは箸塚古墳についても同じ。畿内説の人は古く見たがるし、九州説の人は新しく見たがる。ただ建物跡が見つかったって、そこが邪馬台国かどうかなんてわかるわけはないっていうことだ。こっちは「まぼろしの邪馬台国」「邪馬台国への道」「古代史疑」世代ゆえ心情的に九州説だが、このところ畿内説が有力になってきていることだけは確かのようだ。九州説の武光誠「邪馬台国がみえてきた」を読んでも歯切れ悪いし。

朝から冷たい雨。
午後からは子供たちのスイミングスクール。

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