« 熱下がらず | トップページ | 仕事キッチリ »

2007年4月19日 (木)

黒沢進氏逝去

ガーン。一昨日昨日朦朧としながら作っていたデータが今朝見たら亡くなっていた。いったい何をしていたんじゃろうか。ショックで立ち直れない。がっくり。でも時間はない。今日も国会図書館だ。

視聴覚資料室に籠もっていたのだが、アニメの資料を探している、日本語をあまり理解できない多分韓国の学生さんのおかげで一日中ザワついていました。問題は、いったい彼が何を、そしてそれを観たいのかそれとも聞きたいのかが、司書に伝わっていないと言うことです。「ムーヴィじゃなくてアニメ」「映画じゃなくて、テレビと言うこと?」「NO、NO、リアル・ムーヴィじゃない」「これは音だけ。サントラ」「私が欲しいのは・・・」「それは、ないんです」。ほんとう、司書の人も英語ぐらいもう少し話せないとと思うし、日本のアニメを調べたいんだったら、もう少し日本語勉強しろよという気もするし、とにかく落ち着かない一日でした。

夜。大きな訃報が届く。

GS評論家の黒沢進氏が病気で亡くなったという。
彼がいなかったらGSが今のように再評価されることはなかったろう。
それだけでも彼の功績がいかに大きかったのかわかるだろう。
それにしても早い。
まだまだ彼が発見する、音楽の楽しみ方を聞きたかった、
合掌。

|

« 熱下がらず | トップページ | 仕事キッチリ »

コメント

追悼! 黒沢進命(ミコト)

黒沢進氏の名を始めて見たのは、1969年か70年のフォークリポート誌上でした。秋田、故山平和彦氏がURCから「そっと二人だけで」という歌でデビューしたころで、確か、二人とも秋田・角館の人でした。

黒沢氏は、角館で逝去されたそうですが、20年ほど前、国分寺市内藤に住み、自費出版で研究書を出しておられました。

今、その住居(アパート)跡は、ユニクロから、ディスカウントショップになっています。

約30000年前の遺跡としては、全国有数の貴重な場所で、多摩蘭坂遺跡といいますが、RC・忌野清志郎が唄った「多摩蘭坂」、将にその場所の、ちょうど登りきったところにそのアパートはありました。

今にして思えば、鎌倉幕府滅亡の前夜、新田義貞の軍勢10万騎が集結し、夜明けを待って 分倍河原に攻め入った、その場所、「白見坂(しらみざか)」に黒沢氏は棲み、研究本を出版されていたのですね。

当時は、黒沢氏が開鑿(かいさく)、拓かんとして発掘を進めるその独自世界は、その文面(紙面)からは、まだまだ後年の大成を予期させるほどの位地にはなく、混沌としていたように見受けられました。

いちど、中古レコード店で、店員と話しているのを見かけ、「ああ! あの人が、黒沢進なのか」と、耳をそば立てていたものです。

そのころ、南武線・武蔵新城の早川義夫と多摩蘭坂の黒沢進は、けして触れてはならない『聖域』でした。

「僕は、た~だうつむいて
 僕は、た~だ見るだけ
 見つめるのみにて語らず・・・」
とは、原正孝(原将人)の言葉ですが、
見ることすらも畏い、存在でした。

彼らが居なくなってのち、
武蔵新城を、多摩蘭坂を、歩いてみました。

長い時間が流れています。

ジャックスの「くぐもった」世界に震えていた、かつての少年は、
いま、再臨なった早川義夫の「いたいけな」加齢臭を確かに嗅ぎとる、中年(初老)の「瘋癲老人症候群」に近づきつつあります。

  黒沢さん 本当にありがとうございました。 

                    合 掌 

投稿: 愚ッチャ | 2007年4月22日 (日) 15時57分

愚ッチャさん。どうも。私が黒沢氏と初めて会ったのは、80年代半ば「リメンバー」という雑誌を介してでした。その頃の私はと言えば0年代アイドル専門に中古レコードをボチボチ探していた程度で、GSへの熱い思いを語る黒沢氏の資料に裏付けられた文章には、いつも教えられることばかりでした。むろん、ブルーコメッツが原点だった私と黒沢氏では、GS観は違っていたのですが、まるで世界中でGSが評価されているがごとき彼の語りっぷりは楽しいものでした。
くどくど書いても仕方がありませんが、何とも残念でたまりません。

投稿: 眠鳥 | 2007年4月22日 (日) 21時00分

眠鳥さま

さっそくのコメント 拝見しました。

思い出しますのは、「イソヤン」と呼んでいた板場の職人さんのことです。

ずーッと心に引っかかったままで、30数年が経ちました。

銀座と新橋の境のところに、竹葉亭 という、鰻の高級老舗があります。

そのお店に(確か、支店?)、イソヤン、または、
イソジ と呼ばれていた板場の職人さんがいました。

私は、板場の洗い場のバイトで、毎日、鍋を洗っていました。

中学を出たばかりの見習いの少年は、ウナギを裂く練習をしています。

私は私で、40分以上もかかって、大きな擂り鉢に、バットのような擂り粉木で、大量の胡麻を擂る。

30分も経つと、胡麻はトロトロになり、やがてサラサラになる。

一方、見習いの少年の裂くウナギは、見るも無残。
一気呵成に昇天させられず、あちこち、バラバラ、傷だらけになって、ノタうち回っている。

とうとう、それは、板場の賄いにもならぬまま、くず籠のなかに遣られる。

こうした高級料亭の裏方さんたちの下積みのなか、フロアサイド、表舞台の真正面で、口のこえたお客さんを前に、いつも、ニコニコと、飄々と、ヒョイヒョイと、天麩羅を揚げている大柄の板さんが、イソジさんでした。

1973年の晩秋、オイルショックのころでした。

いつしか、毎日、3時から5時の中休み時間に話すようになって、イソさんが、静岡のGS「アップル」のメンバーであったことを、そっと教えてくださったのでした。確か、レコードも出されたとか仰っておられた記憶があります。

後年、黒沢さんの書かれたものを読み、そのなかに、すこしでも「静岡のGS アップル」の消息はないかと、立ち読みしていましたが、今にして思えば、黒沢さんに手紙でも書いてお尋ねすれば何か教えてくださったかなと。

カルトGS研究家としての黒沢ワールドに詳しい方、もし何かお分かりでしたら、このコーナーにでもカキコミくださいませんか。

ビートルズの前座をしたという、プレGSバンドの一人は、宝塚の「アベーラ」という、イタリアレストランのご子息だと、ヅカファンのお医者さん(男性)から教えられました。

その方もご健在なら、きっと、初老の好い店主となっておられることでしょう。

暁烏ならぬ眠鳥さんのコメントを拝見し、急に古い記憶が蘇りました。
                     合 掌


投稿: 愚ッチャ | 2007年4月22日 (日) 23時17分

続 追悼 黒沢進

眠鳥さんのコメント また ここ数日の たくさんの 黒沢氏への念いを ネット上で見るにつけ こうした通信網の好い意味での 素適さを感じています。

郷里の病院で亡くなられたとありますが お父様も妹様もさぞ辛い思いをされていることとお察し申しあげます。

かく申す私も 数年前に 癌の手術と抗がん剤治療 長い闘病と静養を強いられましたので 残念に思えてなりません。

先の書き込みにつき 鰻料亭 竹葉亭 と 静岡のGS アップル につき ネット上の情報をみてみました。

竹葉亭は 今も健在で たくさんの事業展開があるようですね。

竹葉亭の歴史 『食は文化なり』 とありますが、
北大路魯山人、富本憲吉、河井寛次郎、浜田庄司、バーナード・リーチの名が連なり

創業は江戸末期。当時、京橋付近の浅蜊河岸(あさりがし・現在の新富町)で桃井春蔵道場門下生の「刀預かり所」を役目とした留守居茶屋として初代別府金七が創業したとあり、明治9年「廃刀令」により、留守居茶屋から酒や鰻の蒲焼きを提供する店となったとあります。

今にして思えば、イソジさんは、GS衰退ののち このような環境で 心を癒し かつ人生の再生に向かっておられたのですね。

ネット上で確認した「GSアップル」は おそらく 浜松のGSとありますので 「オチ、ジュンとジ・アップル」が そのグループであったろうと思います。

ただ 天麩羅板前・イソジさんが

安田正彦 ドラムス 豊田幸宏 ベース 大場ひろし リード・ギター 新村建 サイド・ギター 水野じゅん キーボード(のち、オリーブ) 越智まもる ボーカル

の どの人物であったかは 見づらいジャケット写真では判じかねます。

兵庫県宝塚のイタリアンレストラン「アモーレ・アベーラ」についても ネットで確認することができました。

黒沢さんの研究の次なる展開は、団塊世代の青春像と、その晩年であるかも知れません。

               府中市武蔵台寓より

投稿: 愚ッチャ | 2007年4月24日 (火) 15時18分

南無 慈恵主院刈徒足努黒澤進悟居士

投稿: yataketa | 2007年4月26日 (木) 10時06分

南無 慈恵主院刈徒足努黒澤進悟居士

> > > > > >

南無 慈恵主院刈徒足努玄澤進悟居士

さきほど 友人の坊さん(正式に僧籍に在る)からの
アドバイスにより。

「玄」は、黒、宇宙を現すと。

成程。これで「ゲンタク」と呼べますしね。

               合 掌

投稿: ataketa | 2007年4月26日 (木) 17時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/182335/14777659

この記事へのトラックバック一覧です: 黒沢進氏逝去:

« 熱下がらず | トップページ | 仕事キッチリ »